差別を生む生活保護よりもベーシックインカムの実現を – DaiGo氏の発言について

差別を生む生活保護よりもベーシックインカムを実現しよう ベーシックインカム

メンタリストDaiGo氏の「差別発言」

2021年8月、人気YouTuber(ユーチューバー)で作家、メンタリストのDaiGo氏が自身のYouTubeチャンネルの生配信中に「生活保護の人を食わせるお金があるんなら猫を助けてほしい」「生活保護の人が生きていても僕は別に得をしない」といった発言をしたことが大きな批判を呼び、いわゆる炎上という事態になりました。

DaiGo氏は問題となった生配信が保存された動画をチャンネル上から削除し、その上で自身のチャンネルにおける配信の中で謝罪をしています。

今回の記事では、このDaiGo氏の発言について、双極性障害という精神障害を患い、生活保護を受給して生きている当事者の一人として意見を述べたいと思います。

現在の日本において、特に際立った思想ではない

まず私が述べたいのは、DaiGo氏の今回の発言から推察できる氏の思想が、現在の日本において特別に際立って過激であるとか、異常であるなどとは、私はまったく思わない、ということです。

私は氏のYouTubeチャンネルの動画を何度も見たことがありますが、今回の氏の発言によって二度と彼の動画を見たくないとか、彼の意見は聞くに値しないとか、そんなことは全く思いもしませんでした。その理由は、今回の氏の発言の背景には、現在の日本が抱えている「行き過ぎた能力主義」の問題が根底にあると考えるからです。

現在の日本では能力主義が是とされ、かつ万能の尺度とされています。恵まれない境遇にある者はおしなべてその当事者本人の努力不足にその原因があり、そのような者を助ける必要はもちろんなく、むしろそのような「怠け者」「無能者」は批判され叩かれてしかるべきだ、というのが現在の日本で主流となっている思想だと私は考えています。

DaiGo氏は人気のあるYouTuberであり、いわゆるインフルエンサーでもあります。つまり世論を代弁し、ときにリードすることをミッションとしている人物です。今回の彼の発言も、世の中の多くの人の意見の代弁であるというふうに私は理解しました。

個人の人格批判ではなく社会全体の問題として考えよう

したがって、DaiGo氏の今回の発言やこれまでの言動を取り上げて氏の人格批判や人格攻撃をしても何も得られるものはないと私は考えます。必要なことは、なぜ今の日本で、ここまで行き過ぎた能力主義が横行してしまっているのか。さらに本来、支援を必要とする社会的弱者がむしろ事実上の被差別階級にされてしまっている現状について、社会全体の問題として考えることではないかと思うのです。

私自身「生活保護受給者なんてクズだろう」と思っていた

私は精神障害を十代の後半で患いました。しかし病識を得た(自分が「障害持ち」だと認識した)のは40歳も手前になってからのことです。

それまでは、私も能力主義社会の激流の中で、自らの苦境に抗うかのごとく努力を重ね、サラリーマンとして出世し、会社を経営するまでになりました。その当時の私は生活保護に頼らなければ生きていけない人たちについて、はっきり言えば興味がなく、知りませんでした。そんな人達がいることは、テレビやネットの情報を通してしか知ってはいました。そんな人達がいることが「見えていなかった」と表現したほうがより適切かもしれません。

しかし、もし当時、「生活保護を受けている人についてどう思うか?」と聞かれたら、「クズでしょうね。努力できないんでしょう。税金の無駄遣い」と答えたのではないかと思うのです。そして40代が見えてきた頃、私はついに焼き切れ、すべてを失い、自身の精神障害を受け入れ、「努力できないクズ」の一人になって生きることになりました。

生活保護制度は、差別意識の元に成立している

私は、現在の生活保護制度は、廃止するべきだと考えています。代わりにすべての国民に「無条件で」お金を配るベーシックインカムを実施するべきです。

生活保護制度を廃止するべき最大の理由は、現在の生活保護制度が受給者を事実上の被差別階級にしてしまっているからです。

いわゆる「ワーキングプア」と呼ばれる、生活保護基準以下の生活をしている生活保護に近い階層の人たちの中には、以下のような考えを持っている人が少なからず存在していると感じます。

  • 生活保護だけはイヤだ
  • 生活保護なんてみじめ過ぎる
  • だから極貧生活でもがんばる
  • 生活保護の奴らは毎日遊んで暮らしてるクズばかり

このような生活保護に対する強力な負のイメージは、行政の働きかけによるものが大きいと思います。生活保護に対する負のイメージを刷り込み、劣悪な労働環境でも働き続けることを選択させる。こうした水際作戦によって生活保護受給者の増加を食い止める。受給者が増え過ぎれば制度の維持が困難になるからです。

いっぽうで生活保護を受けている人には「差別されるのは嫌だ。はやく生活保護から抜け出さなければ」と思わせる。

このように、生活保護に対しての負のイメージを最大限に利用して行政は生活保護システムを運営しています。

差別とは

ここで、以下のように異論のある方もおられるでしょう。

ちょっと待て。差別とは努力しても変えようがないことに対して特別な扱いをして、対象者に不利益を生じさせることではないのか?たとえば肌の色とか性別とか、生まれた場所などがそうだ。
だが生活保護受給者であることはいつでも、自分の意思で止められるのだから、生活保護受給者が差別されているという主張はおかしいのではないか?

確かに

「生活保護受給者であることは自分の意志で、いつでも止めることができる」

それは正しい。しかし、身体や精神の障害を抱えて働くことができず、生活保護に頼らなければ生きていけない人は、その後どうやって生きていったらいいのでしょうか?

有名な働き蜂の理論(「働きアリの理論」ともいう)によれば、働かない個体を集団から排除したとしても必ず一定の割合で新たな働かない個体が発生する事実が説明されています。さらに、近年の研究では、「努力できるかどうか」もすでに遺伝によって決まっているという考え方も示されています。

これらの話が正しいとすると、これは過激なたとえ話ですが、仮にすべての社会的弱者を日本から抹殺したとしても、新たな社会的弱者が現れるということになります。

特定の人々への差別により成立する社会は、必ずしっぺ返しを食らう

特定の階層の人々を差別することで成立している社会制度は、必ず何らかの形で手痛いしっぺ返しを食うことは歴史が証明しています。

日本においては被差別部落を対象とした「同和対策事業」として33年間に渡り15兆円の国家予算が費やされました。その是非については私は判断する立場にありません。長きに渡って差別され苦痛を味わった人々に対して、その社会的地位の回復やお詫びを意を示すためにお金が使われる、それは仕方のないことかもしれません。

しかし、そもそも特定の境遇の人々を差別するような社会システムさえなければ、この15兆円を使って社会の幸福を増やすためにもっと多くの政策が行えたのではないでしょうか。

海外においても同様な例はあります。米国のイタリア系マフィアがその例です。夢を抱いてアメリカに移住したイタリア人たちでしたが、自由の国で待っていたのは過酷な差別でした。
どう努力しようともイタリア系移民は過酷でブラックな仕事にしかつけない。そんな状況に絶望した一部の人たちが反社会的組織を作り、そして多くの移民たちも自分たちを迫害するアメリカ政府よりもマフィアの方を支持するようになったのです。

日本においても、同様の問題が起こるのではないでしょうか。あるいはもう始まっているのかもしれません。いくら努力しても報われない社会では、犯罪などの反社会的活動のほうがコスパがいい、と考える人達が出てくるのは古今東西変わりません。
上級国民と言われるヒエラルキーの上位者が要塞のような家に住み、下層民は治安の最悪なスラムに住む。私はそんな日本を見たくはありません。

ベーシックインカムなら被差別階級は必要ない

以上のように、現在の生活保護制度は不可避的に被差別階級を生みます。その被差別階級とは、本来は支援を必要とする社会的弱者です。

もちろん、ベーシックインカムも実現には多くの課題があることと思います。しかし、能力や財産や働いているかどうかの有無を問わず、すべての国民にお金を無条件で配るベーシックインカムなら、少なくとも特定の人々を被差別階級にしてしまうことはないでしょう。

あとがき

今回の記事では、メンタリストDaiGo氏の発言に関連して、私が生活保護とベーシックインカムについて考えていることをまとめました。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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